神立尚紀
2015年09月06日
[ゼロファイター列伝(神立尚紀著、講談社)]を読んでます。零戦搭乗員の戦中戦後の記録でオススメ書籍の紹介です。
おはようございます。
[ゼロファイター列伝(神立尚紀著、講談社)]を読んでます。
本書は、零戦搭乗員7名のインタビューに基づく実話をまとめたものです。
日本の零戦がいかに優秀であったか。
搭乗員の戦中戦後の激変する時代の人生がどのようなものであったか。
たいへん面白い1冊です。
著者の神立尚紀さんは、私の幼なじみで久宝寺中学、八尾高校の1年後輩なり、映画 永遠の0 のアドバイザーもされNPO 零戦の会会長も務めています。
戦後70年、多くの方に読んでいただきたい1冊です。
では、今日も1日、明るく、楽しく、元気よく、いきましょう
2013年10月18日
「零戦隊長 204空飛行隊長 宮野善治郎の生涯」神立尚紀著 おすすめの書籍
「零戦隊長―二〇四空飛行隊長 宮野善治郎の生涯 」神立尚紀著 光人社 を読んでいる。
連日の激闘の中でも常に明るさと部下への思いやりを忘れず、上下の興望を一身に集めた海軍大尉、宮野善治郎、無謀な戦争への疑問を抱きつつも、困難な任務を率先して引き受け、ついにガナルカナルの空に散った若き戦闘機隊指揮官の生涯を描く。伝説に彩られた「ラバウル航空隊」の実像に迫る。
この本は、若き海軍士官 宮野善治郎の短くも烈しい生涯を描いた582ページの大作である。
主人公の海軍大尉 宮野善治郎氏は、大阪府立八尾中学(現在の八尾高校)の私の先輩になる。
母校の八尾高校の記念会館に彼の写真が展示されているのを書籍を見て思い出したものである。
宮野善治郎氏は、大正4年、大阪生まれ、大阪府立八尾中学(旧制)から海軍兵学校(65期)に進む。
三空零戦隊分隊長として大平洋戦争開戦のフィリピン空襲に参加 204空分隊長としてソロモン方面でも活躍。昭和18年6月16日、ルンガ沖航空戦で戦死。2階級進級し、任海軍中佐。享年27歳。
第一章は、若江堤に草萌えて、の剛健質実の大阪府立八尾高校の話からはじまる。
宮野善治郎氏は、旧制八尾中学の34期、(1915年〜1943年) 章立ては、海軍兵学校時代の話から、飛行学生、支那事変、大東亜戦争勃発、ソロモン、東部ニューギニアの激闘、山本五十六長官死す、宮野大尉戦死、204空の最後、若き海鷲たちの生と死、というタイトルの流れである。
著者の綿密な取材の成果で具体的な戦闘記録が、正確に記録されている。
また当時の生存者の取材より、戦いの日々の零戦隊員の会話までもが、臨場感をもって、経験できる内容である。
また著者の神立尚紀氏も大阪府立八尾高校の卒業であり、私の1年後輩にあたる。
数年前の八尾高校東京支部の同窓会で名刺交換をさせていただいたのを覚えている。
著者の神立氏が、あとがきで書かれている。よく言われる「ラバウルの搭乗員は死ななきゃ内地に帰えれれない」という言葉である。調べてみると、宮野の部下たちは、4分の3がラバウルで戦死している。生きてラバウルを出た4分の1の搭乗員の過半も、のちの硫黄島、比島、本土上空の空戦で戦死している。
これは他の兵科の戦死率と比べるとすさまじい消耗率である。
我々は、今の日本の平穏な暮らしは、このような戦争で祖国日本のために戦い、戦死した多くの先輩諸氏のお陰であることを忘れてはならない。
零戦戦士というと、今まで詳細の話を聞く機会はなかった。またあえて勉強しようという気にもならなかった。しかし今回、海軍大尉 宮野善治郎氏が八尾高の大先輩であったこと。そして著者の神立氏も八尾高の後輩であったことで、この本を読ませていただく機会にめぐまれた。
あらためて戦争について、零戦隊員がどのような状況で、どのような気持ちで戦闘に臨んだかを知り、たいへん勉強になった。
「零戦隊長 204空飛行隊長 宮野善治郎の生涯」神立尚紀著 おすすめの書籍である。