2013年08月23日
第二の故郷和歌山県。私の営業人生はここからはじまりました。

写真は特急くろしおで天王寺から白浜に向かう時に大平洋を撮ったものです。
私は同志社大学卒業後、P&G営業本部に入社しました。はじめての配属先が和歌山県でした。
なんと入社1年目の私が人口110万人(当時)のエリアマネージャーとなったのです。まさに和歌山県の責任者です。担当は私1人ですが。
JR和歌山駅の近くに会社がマンションを借りてくれそこを自宅兼オフィスに3年間担当しました。
スーパーのオークワさん、松源さん、卸店のエイコーさん(当時)、等を中心に和歌山市から紀伊半島を一周し新宮まで訪問しました。
国道42号線を右に大平洋、左に山を見ながら車で走った距離はかなりのものです。好きな海が間近に見えて営業できるのは最高でした。
当時は20代の体力にまかせた根性営業で体を壊し、1月ほど寝込んだこともありました。
会社の休みは土曜、日曜ですが、ほとんど土曜は仕事をしていました。休日出勤しすぎですね。
営業人生のはじめの担当先、エリアというのは、思いで深いものですね。
その後、ライフセービング活動で和歌山へ行く機会も以前はよくあり、まさにご縁かと思います。
スーパーの本部で商談して企画を決定して大型店をまわり、店でも追加受注の商談をする。商品の山積の手伝いも積極的にして得意先との信頼関係を構築する。
懐かしい思いでです。
卸店のエイコーさんには、朝、昼、夜の1日3回訪問することもありました。500社ほどある取引メーカーで私が訪問回数トップだったと思います。
またメーカー売上規模も500社メーカーでトップを達成させていただき、当時の土井社長から表彰状をいただきました。
当時は辛いことが多くありましたが、今から振り返ると、すべてがよい思いでです。
私の第二の故郷の和歌山県に感謝です。
小森康充